荻上直子監督の映画『彼らが本気で編むときは』のノベライズ版。トランスジェンダーや育児放棄をテーマにした物語です。
これを読むと「普通」ってなんだろうって、改めて考えされられます。
『彼らが本気で編む時は』あらすじ
小学五年生のトモは母親とふたり暮らし。しかし、母親のヒロミはトモに構わず、恋人ができるとトモのことを置いてでていってしまう。今回も母親に置いて行かれたトモは、叔父のマキオのもとへ。
しかし、そこにはマキオと暮らす恋人、リンコがいたが、リンコは元は男性だった女性。
トモは最初は驚いたものの、料理上手なリンコに料理を作ってもらったり、髪の毛を編んでもらったり、時に喧嘩もしながら3人は徐々に仲良くなっていった。
しかし、やがて、3人の生活も、ヒロミが帰ってきたことで終わりをむかえてしまう…
編み物の力
リンコは
『すっげー悔しかったこととか、死ぬほど悲しかったりすることを、全部チャラにする。』
といって、辛いことがあると編み物をします。
目の前の手をひたすら動かすことで、嫌なことを忘れられる。編み物は、そんな癒やしの効果があるんです。
東日本大震災後、被災地で仕事を失った女性たちがはじめた編み物や縫い物は、辛い現実をいっとき忘れさせてくれ、その売上が彼女たちの収入をいまも支えています。
「普通」じゃないと、幸せじゃないのか
普通とは、一体なんなのでしょう。
世間が求める普通が「夫婦と子ども1人以上が望ましい」だと思います。しかし、そこから外れると、「普通じゃない」んです。普通の人からみたら。
ある時、知人(既婚者・子どもあり)の女性から、別の知人のことを聞かれました。「ねえ、あの人彼氏がいるのに、どうしていつまでも結婚しないの?」と。
結婚しようとしまいと、それは本人が決めたこと。だから、他人がどうこう言うべきじゃない。
私はそう思ったのですが、聞いてきた女性は、相手が「普通じゃないから心配」しているのだと。
どうして、自分と同じ(結婚して子どもがいる)じゃないと、「普通じゃないから、幸せじゃない」と思ってしまうのでしょう。
他にも結婚をしてない人が周りにいますが、みんな、楽しそうですし、それは他人がどうこういう問題じゃないと思うのですが。
実は恐ろしい「善意」
もちろん、理解のある人が大部分ですが、どうも、一部のマジョリティの人たちは、「普通じゃないひとはかわいそうだから、普通にしてあげなくちゃ。」
という「善意」が働くことがあるようです。「自分がいいと思ったことが人にもいいに違いない」
そうやって押し付けるのは、私もついつい、やってしまいがちな危険な「善意」です。
リンコもトモも、彼らが考える「普通」と違うというだけで、理不尽さを抱えて生きています。
でも、それでも、マキオやリンコのママのように、自分を理解してくれる人がいたから、きっと乗り越えていけるのでしょう。