『眠る盃』向田 邦子

作家のエッセイ

『眠る盃』は向田邦子さんの各種雑誌に寄稿されたエッセイ集なのですが、すごいんですよこれが。

その掲載雑誌が多種多様。名エッセイ『父の詫び状』を発表した『銀座百点』から、文春などの文学雑誌。若い女性向けの雑誌『anan』『ジュノン』、さらには『マダム』から『わたしの赤ちゃん』まで。

あらゆるジャンルにあわせたテーマで書かれているのもすごい。けれど、それでいて向田さんらしさが文章からにじみ出ていています。

さまざまなお題に対して、肩肘張らず、すうっと入り込める文章を書いている。やはり向田邦子はすごい。

眠る盃

タイトルにもなった名エッセイ『眠る盃』。

「眠る盃」は、向田さんが「荒城の月」の歌詞「めぐる盃 」を「眠る盃」と勘違いをしていたお話。

「自分はよく勘違いをして覚えている」と続くのだけど、面白おかしいのかと思いきや、このあとの文章が実に美しいのです。

「眠る盃」から連想された話は、昭和の向田家の酒宴の思い出につながります。

春の夜、酔客が帰ったあと眠りこけた父親と世話をする母親。父の膳には酒の残った盃が置かれている。

まるで詩のように美しい一文です。

「酒と水とは違う。ゆったりと重くけだるく揺れることを、このとき覚えた」

以来、日本酒を飲むたびこの一文を思い出しています。

○の書かれた葉書

後半はエッセイで、猫好きとして知られていた向田さんの愛猫の話や、家族のことなどが語られます。
なかでも印象的だったのが、「○の書かれた葉書」にまつわる話です。

戦争中、向田さんの末の妹が疎開することになりました。まだ字が書けない妹に、父親は自宅の住所を書いた葉書をたくさんもたせて「元気なら○を書いて送ること」と言って送り出します。

しかし、最初は大きかった葉書の○が次第に小さくなっていき、途中からは✕に。最後は葉書も届かなくなり、病気でやせ細って帰ってきた妹を父親が抱きしめて号泣する…というお話です。

この話は他の本にも掲載されていて、向田作品の人気エピソードとなっています。

『字のないはがき』をモチーフにした作品

現在「○の書かれた葉書」はさまざまなコンテンツで引用されています。

漫画『娚の一生』では、預かっていた親戚の子と別れる時、葉書を持たせるシーンが登場します。

同じく漫画の『書店員 波山個間子』では、ブックアドバイザーの波山さんが、お客さんの「手紙に○とか×とか書く話が読みたい」と要望に、この本をおすすめしています。

そして「○の書かれた葉書」は『字のないはがき』として、小説家の角田光代さん、西加奈子さんらにより絵本化も。こちらも読んでみたい。

著:向田邦子, 著:角田光代, イラスト:西加奈子
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ツルチック

アマゾンに旅した際、現地の飲み物で思い出した「ツルチック」なる飲み物。向田さんが幼い頃、父親がどこからか手に入れてきたらしい。

家族に聞いてもわからず、一時期幻の飲み物でした。しかし雑誌に掲載された途端、多くの人から「知っている」との連絡が来るのです。

「ツルチック」は「ツルチュク」という朝鮮半島でつくられた飲み物だいうことがわかりました。同時に関係者が様々な情報や資料が送られてきます。

中には詩人の谷川俊太郎氏もいて、わざわざ電話で教えてくれたエピソードが書かれています。

驚いたのは向田宅に一般の人からたくさんの電話や手紙が送られてきたこと。

当時は個人情報やストーカー規制などがなかったとは言え、絶え間なく電話がかかってくるのは大変だったでしょうねえ…。

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