戦前、最も身近な外国だった上海。当時の上海には芥川龍之介などの数々の著名人が訪れました。文豪の谷崎潤一郎もその一人で、大正7年と15年に上海を訪れています。
谷崎潤一郎が上海での出来事や出会った人々、旅のトラブルについてまとめたのが『上海交遊記』です。
上海見聞録
谷崎は上海で現地の文化人たちと積極的に交流し、交流を深めます。しかし、時には旅先でとんでもないトラブルにあうことも…。
上海在住の日本人ダンサーに一緒に帰国をせがまれたり、「(女優になるから)映画会社を紹介してちょうだい」と迫られてしまいます。
谷崎は当時、映画会社の脚本を書いたり顧問をしていたので目をつけられたのでしょう。
他にも現地の記者に請われて原稿用紙に文章を書いてやったら、勝手に雑誌に掲載されてしまった話が書かれています。当時の上海の人はたくましいですね。
内山書店と谷崎
中国を代表する作家・魯迅とも交流があり、文化サロンでもあった上海の内山書店。店主の内山完造氏は面倒見がよかったため、数々の著名人内山書店を訪れました。
谷崎が上海を訪れると、内山氏がわざわざ「顔合わせ会」を開いてくれたそうです。
顔合わせ会で谷崎は郭沫若、欧陽予倩、田漢など中国の若手作家たちを紹介され、交流を深めました。以前書いた中国茶器の逸話についても彼らから聞いた話が元になっています。
当時の中国では、谷崎の小説をはじめ、日本の小説がよく読まれていました。それは、日本に留学経験のある文士たちが日本語の本を翻訳したからだそう。
当時の中国では洋書を読むより、漢字が入っている日本の本がわかりやすくて好まれたのだとか。
谷崎は上海での交流を大いに楽しみました。しかし、酔って演説をしたり、打ち身をつくったりとハメを外すこともあったようです。
それだけ、中国の若手作家たちが自分の小説を読んでくれていたことに喜んだのでしょう。
内山書店について
内山書店店主・内山完造が書いた上海生活。「そんへえ・おおへえ」とは上海を現地の発音で聞き取ると、こう聞こえるのだとか。