『兄のトランク』は、宮沢賢治の実弟、宮澤清六さんによる随筆。兄・宮沢賢治の思い出と賢治の作品のこと、交流のあった彫刻家で詩人の高村光太郎のことなどが綴られています。
さすが宮沢賢治の弟というべきか、文章も描写も物語のようです。
賢治の物語のような描写
『曠野の饗宴』という話では、賢治と再会する描写がまるで賢治の物語のようなのです。
清六氏が軍に入隊していた時、賢治が面会に来たのことがあります。、その描写がこちら。
「やあ。」と云って頭を下げると、兄もうれしそうに「やあ。」と、麦藁帽子を取った。
そのあと二人は芝生の上でピーナッツやパン、ぶどう酒の饗宴をしたそうです。
本当に、物語に出てきそうなワンシーン…。
この前の文章でも、宮沢賢治は小高い丘にたち、逆光の中で行軍を見つめている描写があって、ここもまた映像が浮かぶのです。物語のようなのです。
他にも私が好きな文章に「活動写真というものは、いつでも雨が降っているものだ」というのがあります。(この描写は『銀河鉄道の父』でも引用されています)
昔の映画(活動写真)はフィルムが使い回されるため、画面に斜線が入ることが多かったのです。また、古い映写機は音が大きくて、まるで雨のように聞こえたのだそう。
こうした物の捉え方や描写は、賢治に通じるものがありますね。
『兄のトランク』
表題の『兄のトランク』は、清六氏が賢治の死後、遺品を整理した時のエピソードです。
トランクの中を整理していた時、トランクのポケットの中から手帳がでてきました。そこには『雨ニモマケズ』など、詩が書かれていたのです。
たぶん、この人がいなかったら作家・宮沢賢治は世に出なかったでしょう。
当時の賢治作品は、高村光太郎など一部の作家からは評価されていたものの、当時は世間的な認知はゼロに近かったのですから。
清六氏は、戦時中も賢治の原稿を守り抜き、研究者にも惜しげなく公開していました。
門井慶喜さんの『銀河鉄道の父』は、宮沢賢治の父親の物語です。が、弟もまた、宮沢賢治を支える人であったのです。
高村光太郎との交流
当時、無名だった宮沢賢治を認めていたのが、『智恵子抄』で有名な高村光太郎でした。
高村光太郎は戦争中、花巻へ疎開してきたため、宮沢家とも交流があったそうです。