そりゃ、映像化したくなるわけだ。『イクサガミ 天』は明治初期の剣豪デスゲームでありロードノベル。
とにかく、アクションシーンがとてつもなくかっこいい。
『イクサガミ 天』あらすじ
明治十一年。日本各地にある新聞が配られた。
「武技ニ優レタル者」に「金十万円ヲ得ル機会ヲ与フ」
かつて武士であった者、腕に覚えのある者たちが五月五日、京都天龍寺に集結。そこで彼らが聞かされたのは、参加者の「札」を奪い合い、東京を目指す「蠱毒」という催しだった。
幕末に活躍した剣士・嵯峨愁二郎は蠱毒の中、幼い少女に妻の姿が重なり、思わず彼女を守る行動をとる。そこから二人の修羅の旅路が始まる。
映像が見えるアクションシーン
これまで様々な歴史小説、時代小説を読んできましたが、アクションシーンがこれほど頭に浮かぶ小説は初めてです。
そりゃ、岡田准一さんが映像化したくなるわけだ。愁二郎のスピーディーな動き、カムイコチャの弧を描く弓の動きなど、頭に浮かんでくる描写がすごい。
例えるなら映画の絵コンテみたいな。今村翔吾先生は専門用語をあまり使わず(正眼や袈裟斬りくらい)動きそのものを描写しているので、めちゃくちゃ伝わりやすい。
また、登場人物には過去を背負った剣士、無垢な少女、元忍びにアイヌの弓の名手。そして化物じみた老人にサイコパス剣豪。
キャラクターも使う得物もそれぞれ個性的だし、各々が背負っている過去も語られ、それぞれに感情移入してしまう。
時代小説慣れしていない人にも読みやすい作品だと思います。
ヒロイン・双葉の存在
無垢な子供を守る戦士、という設定は『精霊の守り人』の養父のジグロと幼いバルサのようですが、双葉はバルサと違い、一方的に守られています。
その上、
殺さずに……東京まで行くことはできないかな?
何を言っているんだこの子は。
「化物じみた剣豪たちと戦うのってめちゃくちゃ難しいんだぞ」
「自分は戦えないくせに無茶ブリすんなよ」
と、双葉に憤りさえ覚えてしまったのですが、でも、双葉の存在こそが物語の「鍵」なのかもしれない。と考えるようになりました。
現に、双葉のお陰でカムイコチャや彩八、右京との戦いを回避できていますから。
そもそも、双葉は蠱毒関係者にもイレギュラーな存在なのかもしれません。現時点では蠱毒側も彼女を重要視していないようですが。
今後、彼女の無垢さが蠱毒にどんな影響を及ぼすのか、生き残るのは誰なのか。
もう次を読みたくて仕方がない。でも、読む前に深呼吸しないとバトルシーンは息ができない…。

