『向田邦子の恋文』は向田邦子の秘められた恋の手紙。妹・和子さんが姉との思い出を綴ったエッセイです。
作家の兄弟姉妹の中には、ときおり文章のセンスがある人が現れます。宮沢賢治の弟で『兄のトランク』の宮澤清六さんや、今回の向田和子さんもまた、すばらしい書き手でした。
向田和子の死
向田邦子さんは、昭和56年の飛行機事故で帰らぬ人となってしまいました。彼女の死後、あと始末を任された和子さん。愛猫「マミオ」の世話や、遺品の整理と管理に追われます。
原稿や資料などは邦子さんが「故郷もどき」と呼んでいた鹿児島の文学館に引き取られることに。その際、お母様が「鹿児島に嫁入りさせよう」と言ったそうです。
邦子さんへのはなむけとして、これほど的確な言葉はないでしょうね。
そして、和子さんは遺品の整理の際、ある茶封筒を見つけます。そこには、姉・邦子さんの秘めた恋が綴られていました。
秘めた恋
向田邦子作品といえば、長女は「秘めた恋」をしている場合が多い気がします。それは向田邦子さんの実体験でもあったわけです。
お相手は記録映画のカメラマン。そして、妻子のある人でした。
→久しぶりにみた向田邦子新春シリーズは、やはり秘密の匂いがした。
向田邦子さんは、シナリオライターとして忙しい中でもお相手のN氏にまめに手紙を書いて贈っています。
締切に追われると速記文字のような略語を使っていたのに、恋文にはユーモアと甘さが繊細に描かれていました。
そこには、自身のドラマで描かれるようなドロドロした恋愛や痴情はなく、ともに美味しいものを食べ、時間を共有し、仕事の相談をする。
そんな実によいパートナーとしてのN氏との関係が見えてきます。N氏は妻子と別居しており、脳卒中で倒れた彼とその母にも彼女は生活面でもサポートをしていたとか。
しかし、やがてN氏は他界。自死だったそうです。その時の邦子さんの様子を和子さんはこう書いています。「抽斗に手を突っ込んでいた。放心状態だった」と。
その後、彼の日記と手紙は邦子さんに渡され、彼女はそれをずっと所有していました。
時々は懐かしんで、開いてみたのだろうか。
それとも、和子さんが開けるまで封印していたのか。
今となってはわかりません。
向田和子と家族
向田邦子のエッセイでは当然、書き手である邦子さんの視点からの家族が語られています。
邦子さんはそんな父親のことを誰よりも理解し、支えていたのだそうです。
父を理解し、母を助け、弟妹たちの面倒をみる。そんな女性だったそうです。家族を捨てられなかったから、N氏と結婚という形式をとらなかったのかもしれません。
父親の死についても、父にかける白い布と間違えて、手ぬぐいをかけてしまった。そんな、悲しい中にもユーモアあふれる文章を書いていました。
でも、実際の邦子さんは生前・父の座っていた場所に深々とお辞儀をしていた姿を、和子さんが目撃していました。
家族が語った向田邦子という女性は、家族を、恋人を、弟妹たちをときには自分を犠牲にして「支える人」だったのでしょう。
昭和時代、女性脚本家として脚光を浴びた働く女性は、実は誰よりも家庭を大事にした人だったのかもしれません。
改めて、向田邦子という女性の生き様に感銘を覚えた本でした。
私の父もよく怒鳴る人でした。家によく人を呼ぶので、母が苦労をしていたので、父のことが苦手でした。でも、大人になり、向田作品を読んだことで、父親の別の面が見えるようになりました。
父が存命のときに、向田作品を読んでいたら、もっと違う接し方ができたのでは…と、今になって少し後悔しています。