『眠る盃』は、向田邦子さんが各種雑誌に寄稿されたエッセイ集ですが、すごいんですよこれが。
まず掲載雑誌が多種多様。名エッセイ『父の詫び状』を発表した『銀座百点』。文学雑誌から『anan」、『ジュノン』などの若い女性向けの雑誌、『マダム』から『わたしの赤ちゃん』まで。
あらゆるジャンルの傾向にあわせたテーマで書かれているのがすごい。それでいて向田さんらしさが文章からにじみ出ていています。
こうして出されるさ様々お題に対して、肩肘張らず、すうっと入り込める文章を書ける。やはりこの人はすごい。
そして、この本には有名な『字のないはがき』も掲載されています。
眠る盃
タイトルにもなった名エッセイ。「眠る盃」とは、向田邦子さんが滝廉太郎の「荒城の月」の歌詞「めぐる盃 」を「眠る盃」と勘違いをしていたこと。
「自分はよく勘違いをして覚えている」と続くのだけど、面白おかしいのかと思いきや、このあとの文章が実に美しいのです。
「眠る盃」から連想された話は、昭和の向田家の酒宴の思い出につながいきます。春の夜、酔客が帰ったあと眠りこけた父親と世話をする母親、父の膳には酒の残った盃が置かれている。
ここがまるで詩のように美しい。
「酒と水とは違う。ゆったりと重くけだるく揺れることを、このとき覚えた」
以来、日本酒を飲むたびこの一文を思い出しています。
ツルチック
アマゾンに旅した際、現地の飲み物で思い出した「ツルチック」なる飲み物。向田さんが幼い頃父親がどこからか手に入れてきたらしい。
家族に聞いてもわからず幻の飲み物のようだったが、雑誌に掲載された途端、多くの人から「知っている」との連絡が来た。
「ツルチック」は「ツルチュク」という朝鮮半島でつくられた飲み物らしい。ということがわかり、関係者が様々な情報や資料が送られてきた。中には詩人の谷川俊太郎氏もいた。
というお話なのだけど、驚いたのは向田宅にたくさんの電話や手紙が送られてきたこと。
まだ個人情報やストーカー規制などがなかった昭和時代。絶え間なく電話がかかってくるのは大変だったでしょうねえ…。
anan掲載の「男性鑑賞法」
向田邦子さんが様々なジャンルの男性を紹介する文章。俳優や脚本家など芸能界の人間はもちろんですが、美術商や馴染みの魚屋まで、登場する男性の職業もさまざま。
(実は魚屋さんの人生が一番意外で面白かったりする)
今だったら絶対企画通らないだろうな…。
当時のanan読者たちはこんな贅沢な文章が雑誌で読めたのがうらやましい限りです。