O・ヘンリの短編『魔女のパン』と『善女のパン』。実はこの2つのタイトル、まったく逆の意味なのに、中身は同じ小説なんですよ。
なぜ同じなのかというと…
最近では『魔女のパン』が主流ですが、新潮文庫版では『善女のパン』と訳されています。
『魔女のパン』『善女のパン』あらすじ(ややネタバレあり)
パン屋を営むマーサは独身の中年女性。最近、安いパンばかりを買う男が気になっている。男の服についた色のシミをみて、マーサは彼のことを貧乏絵描きだと思いこんでしまう。
自分の妄想を立証するため、店に絵を飾って彼に感想を求めると、多少の違和感はあったものの、マーサは彼を画家だと確信してしまう。それから彼女の「善意」が暴走をはじめる…。
ある時、相変わらず彼が安いパンを買いにくると、すきを突いてパンの中にバターを忍ばせるミス・マーサ。
ああ、これできっと彼は私に感謝するに違いない、そうなったらきっと彼は私のことを…。しかし、彼から返ってきたのは感謝でも求婚でもなく、怒りに満ちた鉄拳だった。
『魔女のパン』と『善女のパン』が同じ理由
原題は『Witch’s Bread』。なので本来なら『魔女のパン』が正解ですが、物語を読むとなるほど、翻訳家が『善女のパン』にした意味がわかります。
主人公は独身の中年女性で、店で一番安いパンを買ってゆく男性が気になりはじめます。
「安いパンばかりを買うのだから、きっと貧乏に違いない」
「きっと芸術家なんだわ」
「私が助けてあげなくちゃ」
彼女はほとんど相手のことを知らないまま、妄想だけを膨らませ、自分の善意を暴走させていきます。
きっと、自分の善意が彼を助けるだろう。すごく感謝されるだろう、そして、あわよくば結婚できるかもしれない…と。
悪意のない善意は、ある意味悪意よりやっかいです。だって怒れないから。
「せっかく親切にやってあげたのに…」と言われるから。
被害を受けたほうが黙るしかない。(男性は思いっきりぶん殴ってましたけど)
ニシンのパイと善女のパン
『魔女の宅急便』のニシンのパイを例に取ると、老婦人は孫から「いらない」と言われているのにもかかわらず、ニシンのパイをキキに届けさせてます。
そして老婦人はこう言います。「ニシンのパイは私の自慢料理なの」と。自分の得意料理だからおいしい、だからきっと孫も喜ぶはず…。
この考えは、相手に自分の好みを押し付けているだけなのではないでしょうか?
こうした、悪気のない善意で相手に多大な迷惑をかける女性は、やはり「魔女」よりも「善女」のほうがしっくりくるような気がします。