江戸川乱歩手製の自伝『貼雑年譜』は、乱歩が戦中から戦後にかけてスクラップしていた自分史。
その『貼雑年譜』に後年、息子の平井隆太郎氏の解説を加えたのが『乱歩の軌跡 父の貼雑帖から』です。
平井太郎から江戸川乱歩へ
江戸川乱歩は『二銭銅貨』で探偵小説家としてデビューする前、鳥羽造船所勤務、古本屋、支那そばやの屋台など、さまざまな職業を転々としていました。
そういった職歴は知っていたのですが、それ以外にも雑誌編集や子供向け雑誌の企画、漫画描きなど、幅広く手がけていたんですね。
ほかにも下宿屋をやったり、何度も転居を繰り返していたりと、乱歩先生の前半生は職も住居も定着しませんでした。
また、江戸川乱歩は最初「藍峯」と表記していたのは、初めて知りました。
意外なエピソード
中学時代に支那(中国)へ密航しようとして停学処分。
アメリカで探偵小説家を夢見て英語で履歴書を書く。若い頃の乱歩先生は、生真面目で大胆。そんな性格だったようです。
特に大学時代、三菱ビルディングの地下室に住んでいた(!)エピソードは、それだけで探偵小説が一本書けそう。
家族から見た乱歩先生
作家や芸術家は、歪んだイメージを持たれることがあります。
日本画家・上村松園さんも小説や映画で「情念(とエロス)の人」のイメージを作られてしまい、ご子息が嘆かれていたそうです。
しかし、歪んだイメージなら乱歩先生も負けていません。当時、猟奇殺人が起こると「犯人は乱歩だ!」という投書が警察に届きました。
後世でも自分が好きで書いた怪人二十面相を「探偵小説が発禁になったから、子供むけの話を書いた」などと紹介されました。
ただし乱歩先生、押し入れの中でしゃがみこんでいたり、『屋根裏の散歩者』のごとく、家の天井をはがして実際に屋根裏を観察したこともあったそうですが…。
家族思いの探偵小説家
「乱歩の軌跡」では、家族思いで子ぼんのうな江戸川乱歩が記されていました。
奥さんが大病した後は療養につれていき、作家として成功したら家族旅行をしたり、家長として弟妹のめんどうをみて親を看取る。
当時の文豪は、放蕩や女遊びで奥さんを泣かせる人が多かったのに、乱歩先生、おやさしい…。
息子さんとキャッチボールをしたり、母親に内緒でおでんを買ったりと、ほのぼのとしたエピソードが綴られています。
そこにはエログロ、猟奇的でおどろおどろしい作品を描いた江戸川乱歩ではなく、平井太郎という、よき父親の姿が描かれています。
そんな江戸川乱歩がもし、「命のビザ」の杉原千畝と出会っていたら。歴史のIFをモチーフにした『乱歩と千畝』も面白かった。
