岩手の毛織物・ホームスパン工房を舞台に、傷ついた少女と家族の再生の物語『雲を紡ぐ』。魅力的な盛岡の街と手仕事の美しさが魅力的です。
『雲を紡ぐ』あらすじ
学校での「いじり」に耐えられず不登校になった美緒。母や祖母の強引な矯正から逃れるため、盛岡へ。
盛岡には父方の祖父がいて、羊毛を染めて紡ぐホームスパンの職人をしているからだった。
赤ん坊の美緒に送ってくれた祖父母の赤いショールと、羊のいる草原に導かれるように美緒は祖父の元でホームスパンの修行を始める。しかし、母や祖母はそんな姿を快く思わなくて…。
盛岡のハイジ
ホームスパンの仕事や盛岡の街の様子を読んで、「アルプスの少女ハイジ」を思い出しました。おじいちゃんは春から秋に工房で作業を行い、冬になると盛岡の街で暮らしています。
工房の庭には畑があり、近くには岩手山の伏流水が流れる風景は、さながらハイジの山小屋のようです。美緒が雲のようにふわふわの羊毛にダイブするのもハイジを思い出しました。
盛岡の街で美緒は親戚の結子さんと太一くんに指導を受けたり、地元のパンや喫茶店を教えてもらったりと、街の散策を楽しんでいる様子が伝わってきます。(ここも「ハイジ」の冬の家のようです)
伊吹有喜さんは舞台となる地域の描写が丁寧な作家さんです。『雲を紡ぐ』でも、街の様子がとても魅力的で読み終わると「盛岡に旅行に行きたい…!」と思ってしまいました。
母の呪い
伊吹有喜作品には時おり、心無い言葉で相手を傷つける「わるもの」が登場します。それが今回は「母親」という、容易には抗えない存在が立ちはだかります。
主人公・美緒の母、祖母も教師です。ふたりとも学校が耐えられなくなった美緒に対して、「逃げてばかりいてはだめ」「泣けば済むと思っているの?」と、残酷な正論を浴びせかけます。
特に母親は仕事でトラブルを抱えていて、娘の気持ちに寄り添う余裕が無い。夫との関係もこじれていたから余計に娘に当たっちゃうんでしょうね。
祖母もまた、自分の成功理論を娘や孫に押し付けるのが当然だと思っているんです。
美緒は母たちと違い繊細で傷つきやすく、自分の言葉を伝えるのが下手でした。だから、そんな母や祖母に追い詰められてしまうんです。
私はいわゆる「繊細さん」なので、母の心無い正論に傷ついてきた経験があり、読んでいてとても辛い場面でした。
家族の糸
美緒は母親の望むように、人に合わせて生きてきました。だから、何が好きか、何が楽しいかが自分でもわからないんです。そして、それはとても辛いことです。
美緒はホームスパンの仕事にやりがいを感じるものの、職人になる決心もつきません。
それを責める母と祖母に対し、おじいちゃんだけは現在の美緒を認めてくれています。「今は選べないも選択のひとつだ」と。
おじいちゃんの言葉が美緒に少しずつ勇気を与えてくれて、私も救われた思いがしました。
若い頃って未来は不明確で不安で、簡単に決められないのは当たり前なんですよね。
ただ、そんなおじいちゃんにも、家族との葛藤や妻や息子に対して後悔していることがあるんです。
でも、だからこそ美緒の本質(繊細で辛抱強い)を見抜くことができたのでしょう。
おじいちゃんとの交流によって汚く、いびつに絡まった家族の糸が、少しずつほぐれていく様子に、読んでいる方も救われる思いがしました。
やり直したい気持ちがあれば、切れた糸はまた紡ぐことができる。そんな希望を感じました。