嶋津輝の長編小説『襷がけの二人』。昭和初期、女主人と女中の友情と女性の自立の物語です。
千代とお初、使用人と主人の立場が逆転する設定に驚きましたが、さらに読み進めると意外な展開にが待ち受けていました。
第170回直木賞候補作になりました。
立場が逆転した「女中と奥様」
物語は千代がお初の家の女中になるところから始まります。ところが、読み進めていくうちに実は以前、千代とお初の立場が「逆」だったことが明かされます。
ここから物語がどんな風に展開するのか、もしかしたら愛憎ドロドロな感じになるのか。それは嫌だな…と思ったら、以外にもすっきりとした、でも味わいの深い物語になっていきました。
悲しみや苦しみ、多くのことを体験して妻から女中になった千代は、これまで流されるままだった人生を、自分の力で切り開いていこうとします。
どの道を選ぶかより、どのように進むかが肝心のような気がしている
この千代の言葉こそが、物語の核であると私は思うのです。
時に血縁にまさる他人との絆
千代は母親から愛されず、夫婦の関係についても詳しく教えられなかったため、夫と友好な関係を築くことができませんでした。
それでも千代は「そんなものだろう」と思っていたし、女中のお初さんやお芳ちゃんとの生活が楽しくて、彼女たちと仮の家族のような関係を築いて満足してしまったのかもしれません。
この当時の女性は夫婦関係のこと(特に夜など)に関して今より情報が少なかったため、千代は自分で夫婦関係をどうにかしようしても、できなかったのでしょう。
そんな中、千代の救いだったのがお初さんやお芳ちゃんでした。特にお初さんとは母親や姉のような疑似的な家族の絆があったからこそ、辛い時代を生き抜いてこれたのでしょうね。
『四十九日のレシピ』や『そして、バトンは渡された』など、小説では時おり血の繋がらない家族がでてきます。
家族というのは「血の繋がり」ではなく、「相手を思いやる者同士の繋がり」なのかもしれません。
新しい「女中文学」の誕生
正直「女中と奥様」の話なら中島京子さんの『小さいおうち』で書いているし、嶋津輝さんが尊敬する幸田文の『流れる』という名作もある。
なんでわざわざ完成されたジャンルに挑戦したのかなあ…?と思いましたが、読んでみて確かに新しい「女中と奥様」の物語になっていると感じました。
美味しそうな日々の献立の描写はもちろん、今まで描かれなかった女性の体や夫婦関係についても細やかに、でもいやらしくなく描かれているのが新鮮でした。
また、『襷がけの二人』は森茉莉の『紅茶とバラの日々』を思い起こさせました。森茉莉もまた、夫よりも義父の妾だった人と仲が良く、料理を教えてもらったりしたそうです。
実際、嶋津さんのインタビューでも、森茉莉さんの作品に刺激を受けたと書いてありました。

こうして先達たちの影響を栄養にしながら、新しい作家の、新しい作品に立ち会えたのは、本読みとして無上の喜びです。
嶋津輝の作品について
私が始めて嶋津輝さんの作品を読んだのは、猫に関するオムニバス短編『猫はわかっている』でした。
平成初期の男女の友情が描かれているのですが、差し込まれるネズミ講のエピソードや小道具のビデオテープの使い方が面白くて、いっぺんで好きになりました。
その後に読んだ『駐車場のねこ』も素晴らしくて、以来、嶋津輝作品にどっぷりとはまってしまったのです。(タイトルは『スナック墓場』の方が良かったけど)