『上海モダンの伝説』は戦前に「老上海」と呼ばれた「魔都」に魅せられた日本人たちを取り上げています。
幕末から昭和初期まで種々雑多な日本人が上海を訪れています。革命家、諜報機関、宗教家、作家や芸術家など、職業も身分も異なる人が上海へ集まるのです。
特徴的なのは大連など中国北部へ向う人は立身出世を目指してくるのに対し、上海に集まる人は、退廃的な人が多かったのだそうです。
日本を追われたり、落ちぶれたりした人間が自然と上海に集まってくるのだとか。それも上海の蠱惑的な魅力のせいでしょうね。
上海内山書店
「内山書店」と聞いてピンと来る人は、相当の読書マニアでしょう。
内山書店の店主、内山完造は若くして中国に渡り内山書店を開きました。書店は文化サロンの役割をにない、日本や中国の作家が多く訪れましtあ。
また魯迅や孫文とも親しく、中国と日本との友好に一役買っていました。大正時代、谷崎潤一郎が上海を訪れたときも、現地の作家との橋渡し役をしていました。
上海を訪れる食い詰め日本人はまず、内山書店を頼ったそうです。
探検家で僧侶の大谷光瑞
築地本願寺をつくった大谷光瑞という人は、ものすごく変わった思想の持ち主でした。チベット探検にいったり、美少年だけの新人類新民族を誕生させよう考えていたのです。
大谷光瑞は上海にも本願寺を作り、布教活動の傍ら日本軍の諜報活動をしていたそうです。言動もかなり過激な戦争論をぶちまけています。この人はもう僧侶の枠を超えてますね。
最後はお金を使いすぎて法主の座を追われてしまったそうです。ちなみに彼の腹違いの妹が大正三美人のひとり、九条武子です。
詩人・金子光晴
デラシネ(根なし草)の詩人・金子光晴。パリに向かうつもりが上海に腰を落ち着け、エロ小説を書いたり、強請まがいで絵を販売したりと、あまりほめられた生活をしていませんでした。
その後、パリ、東南アジアを旅し、その時のことを「どくろ杯」や「マレー蘭印紀行」に書き残しています。この風変わりな詩人のことは今後もう少し調べてみようと思います。
国籍不明のミステリアスダンサー
上海にはさまざまな経歴をもつ人々が集まりました。中でも「ミス・マヌエラ」という女性は、共同租界のクラブで人気のダンサーでした。
エキゾチックな容姿と、作り上げられた経歴でミステリアスなマヌエラはたちまち人気者になりました。、その正体は山田妙子というSKD出身の日本人ダンサーだったのです。
その後、ミステリアスな印象が日本軍から「マタ・ハリ」のようにスパイ疑惑をかけられてしまいます。幸い、父親が陸軍大将と知り合いだったため難を逃れたのだとか。
魔都と呼ばれた上海は、ミステリアスな人が似合いますね。