家にまつわる怪異と、それを修繕して整える『営繕かるかや怪異譚その参』。かるかやの尾端さんは、家や人、祟りにも寄り添う営繕を行います。
念と呪い
「念」とは、常に心から離れない、強い思い入れのことを言います。そんな人の念は家や家具に影響を与え、時に呪いとして人を襲います。
呪いといえば怖いのですが、元をたどると人の強い思い入れが怪奇の原因になることが多いんですね。やはり結局、人が一番恐ろしいということでしょう。
私がもっとも怖かったのが『火焔』です。昔は五体満足であれば嫁に行けたため、時折こうした異常な人が妻や母親となって子や嫁を苦しめることがあります。
死んだ後も人を攻める姑の執着と、それを受け入れ、抗えない嫁の関係がただただ恐ろしかった…。
受け継がれる呪い
『誰が袖』では、家に受け継がれる呪いが描かれています。
「末代までも祟る」は昔の芝居でよくあるセリフですが、家系や先祖とのつながりの薄い現代人から見ると、「受け継がれる祟り」に理不尽さを感じます。
この家の祟りは「妻が嫡男を妊娠すると死亡する」でしたが、「祟り」といっても発動条件があるんですね。
小野不由美さんの小説『過ぎる十七の春』を思い出しました。こちらもまた、祟りには発動条件があります。でもたいていは昔の家制度が原因なんですよね。
家を維持するために人を犠牲にした結果、恨みが家(または家具)に残り、それがまた人に祟るのは悲しいことです。
家や人、時に祟りにも寄り添う尾端さんの言葉からも人の念の悲しさが伝わります。
恨みが強いと視野が狭まって捨てるなんて考えられない。(中略)剥がれて初めて、捨てたほうが楽なんだと気づく

