『営繕かるかや怪異譚 その肆』。これまで読んだシリーズの中で、一番怖い。じわじわと恐怖が忍び寄ってきます。わからない、それが怖い。
「わからない」
「わからない」って怖い。だから人はそこに理由を見出そうとするんです。でも、すべてが明らかにされるわけではない。
拾ったスマホを受信したことで何かに追い立てられる『しのびよる』。
人の悪意がかたちをなしてゆく『迦陵頻伽』。
二つとも、怪異の正体も、犯人の動機も今ひとつはっきりしません。でも襲ってきてしまう。だから対処するしかない。でもそれは完全な解決ではないんです。
営繕は対処療法
『営繕かるかや怪異譚 その肆』では、家に修理を施すことで怪異を抑えます。でも祓うではなく抑える、もしくは鎮めるのです。病気に対する対処療法に似ていますね。
『いつか眠りを』では、祓う代わりに霊のでる場所を封印することで対処しています。でも、幽霊はその場所にとどまったまま。
呪いのこもった土地には新たに祠を建てて現象を鎮めようとする『風来たりて』。こうした対処はすべて、先人たちが経験から積み上げてきた方法なんですね。
足りなければ足し、さらに足りなければ寺を置き、(中略)それが先人の知恵というものでしょう。
完全な除霊はできない。だから抑えられるものを探し、足しながら共存するしかないんです。
そこには迷信やオカルトと馬鹿にできない知恵が確かにあるのでしょう。
呪いにも配慮する尾端さん
霊や怪奇現象を抑える営繕を行う尾端さんですが、一方で呪いにも配慮を行います。
ホラーすきが講じて幽霊屋敷の藁人形を展示したオーナーに対して、「呪った人はそれを知られたくないでしょう」と展示に反対します。
尾端さんは、恐ろしい呪いではなく、呪うしかなかった「人」に対して配慮しているんですね。
私はただ怖いとしか思えない霊や怪奇現象ですが、それはもともと「人」が原因なのですから。

