太宰の心には、乙女がいる。
『女生徒』は、朝起きてから眠るまで、少女の一日を描いた太宰治の作品。空想やメランコリックな気持ちが表現されていて、読むと自分の中の乙女心がざわつくのです。
どんな人の心にもきっと、乙女心が宿っている。
『女生徒』あらすじ
少女が朝、目覚めてから身支度を整え学校へ向かう。道すがら労働者に下卑た言葉を浴びせられ「強くならねば」と思う。
通学途中で読む雑誌から自分の個性や独創性について悩み、亡くなった父親、お嫁に行った姉のことを思い出す。
夕方にはお客様に食事を作り、夜はお母さんとお話をしたあと洗濯をしながら、同じように真夜中に洗濯する少女たちに思いを馳せる。
そんな風にして少女の一日は過ぎていくのだった。
少女の揺れ動く心
この少女の思考はクルクルと変わります。みすぼらしい妊婦を見ては「子どものままでいたい」と思ったかと思えば母親に対しては、「もう大人なのだから自分を頼ってほしい」と思ったり。
そうそう、確かに少女の頃って、とりとめもない事を考えていたし、さっきとは全く違った気持ちになったりしたものです。
そしてロマンチックでセンチメンタル、時々、なにか変わった事をやってみたくなるのも少女らしいのかも。
田舎道を歩くとき「初めて郊外を訪れた女の子」の気持ちになって歩いてみたり。それってなんだか萩原朔太郎の『猫町』みたいでワクワクします。
彼女が作る見栄えのよい「ロココ料理」なるものも、この頃少女たちに人気のあった『少女の友』にありそうな料理です。
『女生徒』からジェンダーについて考える
私は今まで太宰のことを「死にたがるクソ男」って思ってました。たけど、美しい死を求めてすてきな「エス」の女性と死にたいと思う少女だと思えば納得がいく、かも。
太宰はこの他にも『葉桜と魔笛』、『待つ』でも少女の心の機微を描いていますしね。
彼が本当は乙女だとするなら、彼の生きた昭和前期はさぞ生きづらかったことでしょうね。「男は男らしく!」「女は女らしく!」が当たり前の世の中でしたから。
女性も辛かったけれど、男らしく振る舞わなきゃならなかった昭和前期は、男性も辛かったのかもしれません。

