日本画家・上村松園画伯の随筆『青眉抄』。絵の道を極めた画家の文章は、清廉で美しかった。
上村松園画伯をモデルにした『序の舞』は、やたらとエロと情念ばかりが強調され、本来の芸術性が隠れてしまっています。
しかし本来の上村松園は、未婚の母という当時としては過激なスキャンダルこそあったものの、その人生は絵と芸術に捧げた清廉なものでした。
情念とは内に秘めるもの
そもそも明治人は情念を内に秘めることが多く、松園画伯も息子の父親について語っていません。それが『序の舞』というとエロス、というイメージがついてしまったのは残念でなりません。
たとえ情念があったとしても、それは本来、内に秘めておくものなのでしょう。
『青眉抄』でも女性の愛情についてこう書かれています。
想いを内にうちにと秘めて、地熱の如き
たとえ地熱の如き熱い愛情があったとしても表面に見せないのが「想い」なのでしょう。松園画伯はそんな女性の想いを、「砧」という作品に託して描いています。
松園画伯は、ただ男性に流されるだけの弱い女性ではありませんでした。
むしろその逆で、展覧会に出品した絵の顔に落書きをされてしまっても「かまいませんから、そのままにしておいてください」と言い放ち、女と侮っていた主催者側も最後には陳謝したのだとか。
その時、落書きされた絵は『遊女亀遊』。
外国人の客をとるくらいなら…と、大和魂を貫き、自害をした遊女を題材にした作品です。彼女の辞世の句「露をだにいとふ大和の女郎花 降るあめりかに袖はぬらさじ」は、その後戯曲にもなりました。
どうやら画伯、明治女性の芯の強さと、京都人のいけず、生来の勝ち気さを持ち合わせた、肝のすわった女性だったようです。
『序の舞』の主人公は、どちらかというと流されやすく、弱く、感情の起伏が激しいので、デフォルメもいいところだと想います。
古き良き京都と母の想い出
『青眉抄』では、松園画伯の育った、古き良き明治の京都の街が生き生きと書かれています。
ころ夢中になった、道端に色鮮やかな砂で絵を描く老人。実家の葉茶屋の香ばしいお茶のを焙じる匂い、客たちの和やかな雰囲気。
古き良き、江戸時代の匂いを残す京都の風景は、読んでいると私たちにもその風景ががみえるようです。
そして、女ひとりで葉茶屋を切り盛りしつつ、夕暮れどきまで縫い物をしている母親の姿。
松園画伯にとって母親は、父であり、彼女の芸術を支援するパトロンであり、理想の女性像でありました。
母親がはかなくなる夕方の光をたより縫い物をする姿は「夕暮」という絵に描かれています。
針に糸を通す、という日常的な風景なのに、荘厳さすら感じる美しさです。

