岡本かの子『東海道五十三次』は、大正時代の東海道を舞台に旅に魅せられた人々の旅情を描いた短編。旅情をさそう岡本かの子の文章が美しい。
『東海道五十三次』あらすじ
後に夫となる人の案内で東海道を旅する女性視点の物語。
許婚の男は東海道の歴史や風俗に精通し、旅先での逸話や物語を語ってくれるのだった。
ある時、茶店で夫の旅仲間である作楽井と出会う。彼は東海道の旅と景色に魅入られて以来、家族と離反し、東海道を旅する人生を続けているという。
そこから時が経ち、夫婦が数十年ぶりに名古屋を訪れた時、意外な人物が訪ねてきて…。
美しく切ない旅情
美しい街道の描写と旅情たっぷりな表現。どこか旅の切なさも感じられます。
ほのぼの明けの靄の中から大きな山葵漬の看板や鯛のでんぶの看板がのそっと額の上に現われて来る。 旅慣れない私はこころの弾む思いがあった。
駅について土産屋の看板が目に入ると「ああ、旅先に来たんなあ」と感じるものです。ましてや朝靄の中なら余計、旅情が掻き立てられそう。
東海道に魅せられる作楽井は、ただその風情だけではなく、街道に込められた情緒に惹かれて旅を続けているんです。
旅というもので甞める寂しみや幾らかの気散じや、そういったものが街道の土にも松並木にも宿々の家にも浸み込んでいるものがある。
その味が自分たちのような、情味に脆い性質の人間を痺らせのだろうと思いますよ
とはいえ、目的のある旅ではないため、京都までたどり着くことはないのです。旅そのものが目的だから。あるいは、憧憬を得るための。
現代人の私から見ると、なんとも贅沢な旅だなあと思うのです。
こんな旅情のかたまりのような東海道ですが、今村翔吾先生の『イクサガミ』では、東海道の宿場を舞台に、侍たちがデスゲームを繰り広げていて、世界線が違うと同じ場所でもこんなに表現がちがうのか、と驚かされます。

