『長崎丸山遊郭 江戸時代のワンダーランド』

長崎 日本の歴史

長崎丸山遊郭 江戸時代のワンダーランド』では吉原に比べ自由度が高かった長崎丸山遊郭。国際都市ならではの遊郭の仕組みについて書かれています。

比較的自由な「苦界」

なぜ、丸山遊郭が比較的自由だったのか。
それは、丸山遊女たちが長崎の経済を支える存在だったからです。

長崎は鎖国時代の国際貿易港でしたが、周辺では貿易ができるような特産品がなく、現地にはお金が落ちません。

そこで、丸山遊郭の遊女たちが日本人商人や外国人を接待し、その遊興費で長崎の街は潤っていきました。

長崎の遊女屋は地域コミュニティ構成員として認められていました。

有名な「長崎くんち」など地域の祭りに遊女が参加したり、遊女屋が費用を負担したりと、街の発展にも貢献しました。

吉原遊廓と丸山遊廓の違い

江戸・吉原遊郭

  • 店からの支給は簡易装備のみ。衣装や飲食は自分持ち
  • 遊郭を出るには借金を返すか、身請けしかない。ただし前者は無理ゲーレベル
  • 遊女は特別な場合以外、吉原から出ることはできない
  • 妊娠、出産ができるのは高位の遊女のみ

長崎・丸山遊郭

  • 高位の遊女以外でも妊娠、出産が可能
  • 出島や街内を自由に行き来できた
  • 本人が望めば客を選ぶことができた(外国人担当が嫌なら希望が通った)
  • 引退すれば実家にもどって結婚も可能

遊女たちは街の稼ぎ頭で、アイドルのような存在でした。

そのため、丸山遊郭では遊女が引退してから地元で結婚したり、他で働けなくなった元遊女たちを保護する救済システムが整っていたそうです。

丸山と外国人客

長崎の遊郭の特徴として、遊女は唐人やオランダ人など、外国人客の相手をします。一部の遊女は出島まで出張し、現地妻のようなこともしていました。

外国人客は気前が良く、遊女たちは高額のプレゼントをもらっています。

中には「ラクダ」をもらった遊女もいたそうです,

しかし、これは流石に飼うことはできないので見世物小屋に売ったのだそう。

そのほかにも、日本では高価だった砂糖を報酬やプレゼントとして贈っています。

東南アジアでは安価で取引でき、日本では黄金並みの価値になる。そのため、遊女たちはそれらを換金して副収入を得ていました。

高浜寛さんの『扇島歳時記』でも、禿のたまが出島のトーン先生から鳥のブローチをプレゼントされています。

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外国人たちは遊女だけではなく、禿や遣り手婆など、周囲の人間にも気前よくプレゼントをしたので、遊女たちも彼らに気に入られるよう、努力したそうです。

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